マルティネッリ In My Own Words和訳:アーセナル公式より

アーセナル

アーセナル公式ホームページにてたまに掲載される、選手が自分の言葉で語ってくれるコーナー「In My Own Words」。

今回は、昨日のウェストハム戦で待望のプレミアリーグ初先発&初ゴールを決めた18歳の怪物、2019年10月23日のガブリエル・マルティネッリの記事を翻訳していく。

※英語学習を兼ねてます。多少の誤訳はご勘弁ください。

Gabriel Martinelli | In my own words
Sure, you’ve seen me play but you probably don’t know too much about me. So let me tell you about my story so far

もちろん、僕のプレーを見たことはあっても、多分僕についてあまり知らない人も多いと思う。だから今回は、これまでの僕のストーリーを少しだけ話していくよ。

僕が一番重要だと思うことは、サッカー選手になりたいといつも思っていたということなんだ。僕と僕の家族はそれが可能だといつも信じていた。何があっても、彼らは僕に自信を与えてくれたしサポートしてくれた。

もし自分を信じていなかったら、目標を達成することは永遠になかったと思う。僕はいつも試合前はポジティブだし、いつも自分がうまくプレイしている姿を想像する、だから試合に勝つためにチームメイトを助けることができるんだ。

ポジティブに、与えられた機会を活かす。それは家族が教えてくれたことなんだ。彼らはいつも僕の味方だし、感謝しなくちゃいけない。なぜなら、もし家族がいなったら、こんなことは絶対に起こりえなかったから。

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いつも大事な時にそこにいて、トレーニングに連れて行ってくれる時だったり、学校に行く時だったり、彼らはただ僕が必要なサポートをしてくれた。家族無しではここにいないと思うし、だからこそ、僕のキャリアを彼らに捧げなければいけないんだ。

だから、わかると思うけど僕は家族ととても親密なんだ。僕はグアルーリョスのベラヴィスタタウンで生まれ、サンパウロ国際空港の近くの祖父の家のすぐ近くで育ったんだ。

僕の最初の記憶は、僕の母の故郷、パラナを訪れた時のこと。伯父やいとこ、そして父と一緒にたくさんサッカーをした。

ぼくはストリートではそんなにやってなくて、たまにだけだった。ほとんどは学校だね。学校ではいつもサッカーをしていた。いろいろな年齢の子供たちがいて、年上や年下の子と戦ってたんだ。

それがプロになるための助けになったと思う。僕の人生で経験してきたことを信じてるし、すべてが糧になっている。

当時、僕は誰かが僕を誘ってプレイすることをとにかく楽しんでいたんだ。彼らとサッカーをしに行くのはただ楽しかったから。12歳か13歳くらいの時、サッカーは僕にとって素晴らしい未来になると思ったし、そんなキャリアを送ることができるとも思った。

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僕はいつもロナウドになる夢を見ていた。彼が大好きだった。彼のニックネームは怪物(The Phenomenon)。彼は僕の一番の憧れだったし、うーんと、彼と父が。父はいつも、ロナウドはアメイジングなフットボーラーだと僕に教えてくれた。だけど僕が彼のプレイを見た時に、僕にはよくわからなかった!でもいいんだ、どっちにしても彼はまだ僕のインスピレーションだから。

僕が6歳くらいから12、13歳くらいの時、彼は僕をコリンチャンスに連れて行ってくれた。それは僕の人生において大きなことだったし、彼らが僕にしてくれたことは感謝しかない。そこは僕のキャリアにおいて全てが始まったところだし、彼らが僕を助けるためにしてくれたことは素晴らしかった。

知らない人のために言うけど、コリンチャンスはブラジルでとても大きなクラブなんだ。とっても。どこのビッグクラブでも、結果を出さなきゃいけないし、幼いころから勝利の大切さやメンタリティを教えられるんだ、いつもポジティブでいるってこともね。

コリンチャンスでの時間は好きだったけど、父がイトゥーで仕事ができる機会があって、僕はコリンチャンスを離れるという、人生で一番難しい決断をした。それが家族にとって一番だったんだけど、父と一緒に暮らすために100km離れた場所に行かなければならなかった。

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その時僕はまだ13歳で、なぜそのような大きな変化をしなくちゃいけないのかを理解するには幼過ぎたし、コリンチャンスは僕のホームだったから、本当に悲しかったのを覚えている。学校から帰ればそのまま練習に行って、それを一日中、毎日やってたんだ。多分それが一番失って辛かったことだね。

イトゥアーノではものごとが少し違ったけど、それでも、ピッチの内外において本当に大事なステップだった。選手として成長できたし、精神的にももっと成長できた。そこは僕がプロとして花開いたところだし、このクラブ(イトゥアーノ)の今世紀での最年少記録を塗り替えるチャンスを与えてくれたんだ。だからイトゥアーノがくれた機械には感謝しかない。

最も大きかったことの一つが、世界でも最もチャレンジングである、カンピオナート・パウリスタ(サンパウロ州選手権)でプレイできたこと。コリンチャンスやサンパウロ、パルメイラスやサントスのようなビッグクラブと戦うことができるんだ。

その時僕はまだ17歳だったけど、素晴らしいトーナメントを過ごすことができた。6ゴールを決めたし、その中の2ゴールはブラガンチーノ相手に決めて、クォーターファイナルではサンパウロと当たったんだ。

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僕たちは2試合合計3-1で負けてしまったけど、僕は若手優秀選手賞に選ばれたし、すべてのチームのなかで一番若かった。それが他のチームが僕に注目するきっかけになったんだ。

僕のエージェントは試合前にいつも幸運を祈るための電話をくれて、簡単な会話をするんだ。ある日突然、彼はアーセナルとコンタクトを取っていて、彼らは僕を見ている、と言ってきたんだ。

とっても嬉しかったのを覚えてるよ。それは僕だけの夢ではなく、家族の夢でもあったからね。僕は次のステップに進むためにいつもハードワークしているし、だからアーセナルが僕をイングランドに、プレミアリーグでプレイするために連れていきたがってると聞いたときは…本当に信じられなかったよ。

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